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角界:更新2008/09/30 苦労人・首梨山、新十両へ 大きな障害を抱えながら、中学卒業以来黙々と相撲に打ち込んできた「彼」がついに念願の関取昇進を果たす―。 大相撲の力士なら、誰しも夢見る関取の座。しかし、多くの実力者が挑戦しては夢破れて去っていった。しかし、今回紹介する「彼」は、普通の人なら恐らく耐えられないであろうハンデを乗り越えて、来場所の関取昇進を決めたのだった。 「彼」の四股名は、首梨山(しゅりざん)。この9月場所、幕下西5枚目で6勝1敗の好成績。ただ、最近の動向だとこの成績なら来場所は幕下筆頭に据え置かれるところであったが、例の大麻騒動や元関脇・玉春日の引退などで新十両の間口がいきなり広くなったことも幸いした。「苦労人の奴のことを、神様は見ていて下さった」と、首梨山の師匠・大手門親方は涙ながらに語る。以下、青字は大手門親方の談話。
首梨山は沖縄県出身。初めは故郷の「首里城」にちなんで「首里山」と名乗っていたが、幕下に上がってから低迷。そこで心機一転して「里」を「梨」の字に替えた。これは親方の強い勧めがあってのことという。
首梨山は、元々障害を抱えていたわけではない。彼が小学3年生の頃、相撲道場からの帰り道、ダンプカーに轢かれて首から上がもげてしまうという瀕死の重傷を負う。ただ、幸い脳幹が生きていたことと、彼の強靭な生命力が自らの命を永らえさせた。彼は、首を失いながら、約3年にわたる必死のリハビリに耐え、ついに病院から退院するのである。
中学入学当初の彼の体格は155センチ70キロ。もし首があったら170センチ90キロ位の選手として活躍できただろう。周りの選手たちは自分より頭一つ大きい選手ばかりだったという。しかし、彼は辛いリハビリに耐え抜いた不屈の精神をもって猛稽古にまい進。そして何と中学1年生の時には中学総合体育大会(中総体)の沖縄県予選でいきなり優勝してしまうのである。彼の実力もさることながら、彼を初めて見た選手がいきなり泣き出したりして試合にならないなどの幸運にも恵まれ、その栄冠につながった。
勝てなくなった首梨山は、その頃ひどくふさぎ込んでいる様子だった、と彼を知る人は一様に語る。そして稽古に時々顔を出すものの上がり座敷に腰を下ろしたままボーっとする毎日。相撲部の見学に来た新1年生の生徒が彼をはじめてみて泣き出したりしても、彼は耳が聞こえない、というか耳がないからお構いなしであった。けれども、これが奏功する。
しかし、彼はそのような活躍したにもかかわらず、相撲部屋からは声がかからなかった。その理由は明白だった。彼には首がない。そう、つまりマゲが結えないからである。
首梨山は、途中幕下の下位でもたつきはしたものの、改名してこれを乗り越え、ついに一つの目標を成し遂げた。彼はしゃべれないので手話で「ぼくは首がない以外はいたって普通の青年です(笑)。どうかぼくを見に応援しに来てください」と語ってくれた。 Nト|K相撲放送局長の話
ら王 |
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