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相撲ネタから相撲ネタまで〜暇潰的相撲ネタブログ 今川開発の暇潰部屋 、絶賛運営中です!

相撲新聞の沿革

『相撲新聞』は、平成6(1994)年10月に発行されました某大学相撲愛好会天佑部屋(現・某大学学友会相撲部)のミニコミ誌、イカす!どすこい野郎を前身とする偽ニュースサイトです。虚構新聞と違いまして、記事の全てが相撲がらみ、そう、相撲縛りという制約の中、紙媒体だった「イカす!どすこい野郎」から今年で17年目を迎える割と長生きなジョーク・メディアです。ここまでやってこられましたのも、ひとえに読者の皆様にお力添えがあってのことと存じます。謹んでこの場を借りて御礼申し上げます。

「イカす!どすこい野郎」は、1994〜2000年にかけて、某大学の某キャンパスという1・2年生が主に集う場所にのみばらまかれたビラです。同様のビラを撒いていた団体としては、皆様ご存知かとおもいますが、中●派、革●派といった老舗の学生運動団体、キャン●ス●ートという大学祭の入場門を作っていたサークル、ほかには文芸系のサークルが気まぐれに適当に撒いているという感じでした。一見、ビラの棲み分けがなされているのではないかと思いきや、実はキャン●ス●ートとやっていることが重複していました。キャン●ス●ートはそれこそ「虚構新聞」ばりのガセネタを誌面に載せ、読者を爆笑させていたのです。「仙台市、隣接の山形市を吸収合併か」とか「超音速ヒーロー・ザ フラッシュによる被害続出」とか、時機を得たネタは我々にとって目指すべき目標であり、また超えねばならない存在でした。ただ、「イカす!どすこい野郎」は当時から融通の利かない編集者の陣が「相撲愛好会の活動内容も載せておくべきだ」とかたくなに主張したため、完全な相撲「ネタ」新聞にはならず、片面はネタ新聞、もう片面は相撲愛好会のやっていることが載るという体裁になったのです。

紙媒体の方は卒業後ながら早々に後輩に引き継ぎ、それから3年も後輩たちはこのビラ作りを続けてくれました。大学を出たマロ=今川開発と私、陣はインターネットという媒体を模索し始めます。そして2000年5月、某大学相撲愛好会天佑部屋のサイトを作る流れの中で、ガセネタも見られる相撲愛好会のページというのがお目見えすることになるのです。ただ、そういうことをすると、元々このサークルがどういうものだったかを知っている人なら違和感なく受け入れられるのでしょうが、基本的に学校の相撲部のホームページで「ついに出た!闇チャンコで死者」とかいきなり書いてあるページはない訳です。そのような訳で、相撲愛好会のホームページを開設して1年ほどで、ネタサイトとしての『イカす!どすこい野郎cyber』と「某大学相撲部」のホームページをここに作り、リンクはしておくという運営を続けていくことになるのです。

その後、いろいろあって相撲愛好会=部の方のページは運営しなくても良くなり、実質2005年から相撲新聞のスタートと相成ります。ただ、私の編集の遅さなどが原因で今川開発が独立してしまったことは痛恨事でしたし、楽天・infoseekの無料ホームページサービスが終了したのもやや痛手となりましたが、2011年の今日、またこうして再開出来ましたのはまさしく僥倖。といって、あとどれだけ相撲新聞を続けられるのかは分かりませんし、肝心のネタ元、大相撲そのものが危機に瀕している訳でして、つくづく永劫不変にやっていけるようなジョーク・メディアではなかったのだなとつくづく思い知らされている昨今です。このような見通しのやや甘い私どもですが、これからも出来る限りの不謹慎さを読者の皆様に提供して参りますので、今後ともなにとぞよろしくお願い申し上げます。

平成23年2月23日

編集人・陣

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相撲新聞簡易年表

1993.5 某大学に相撲愛好会「天佑部屋」という組織がひっそりと生まれる
1993.7.15 「天佑部屋」、会員拡張のために入会説明会を開催。これにある程度成功し、10数名の組織として活動開始
1994.9 「天佑部屋」、初めての某大学大学祭に参加を決定。ちゃんこなべの露店を出すことに。その宣伝媒体について議論した結果、「ビラ」が良いだろうということになる。ビラの名称は当初「どすこい」などといった無難なものに落ち着くかと思われたが、会員K(現・某大学相撲部OB会会長)の「『イカす!どすこい野郎』でいこうや」の鶴の一声でこれに決定。相撲新聞の前身・『イカす!どすこい野郎』はこうして生まれた。
内容は基本的に相撲関係のガセ記事の紹介、相撲についての啓蒙的文章が主な内容だった。創作記事の担当はのちの今川開発であるところのマロである
1994.10 『イカす!どすこい野郎』創刊号発刊。ちゃんこ屋の宣伝が目的だったものの、これ以後翌1995年1月まで毎月1号ずつ発刊され続ける
1996.7 途中休みが入ったりしたものの第10号の発行に漕ぎ着ける
1997.5 マロ、『イカす!どすこい野郎』における最後の記事を執筆、ガセ記事の担当が交代
2000.5.7 「天佑部屋」、某大学相撲部のホームページを公開。当然のようにこのページでガセ記事を紹介したため、何のホームページか理解してもらえない事態にたびたび見舞われることに。ちなみに、この時すでに「天佑部屋」は某大学学友会体育部直轄相撲部としても扱われていた。
2000.11 紙媒体としては最後となる第18号発行。ただし、第19号を見たという者もおり最後の発行がいつだったかは割と不明
2001.1.1 ガセ記事を紹介するページと相撲部のホームページを分離。前者はIT時代に相応しく『イカす!どすこい野郎cyber』と命名される。後者は必要もないのにミラー版まで作られる(中身はほぼ全く同じ)
2001.8.19 『イカす!どすこい野郎cyber』早くも(表紙が)version7に
2002.6? またversionが変わる
2003.7? 相撲愛好会「天佑部屋」のOBやOGが集えるようなページに改編すべく『イカす!どすこい野郎cyber』の表紙ページを「天佑部屋暇潰部屋」に改め、このページから『イカす!どすこい野郎cyber』と「某大学相撲部」のホームページいずれにも行けるような作りにする。そしてまたversionが変わる。なおこのページはまもなく「net●●部屋」というOB・OGが集えるような作りのページに改編される
2004.6 当時の某大学相撲部の主将と部のあり方を巡って対立(主将は「相撲だけでなく他のスポーツとかイベントとかできるサークルに作り替えたい、あと相撲研究会は廃止な」とし、こちらは「相撲に絞れ、あと人脈確保の観点から研究会潰すな」という対立)、その後の「OBは黙ってカネだけ出してりゃいいんだ、あと昔のOBは相撲オタクだからキモいのでカネ出してから消えろ」という趣旨のご発言にこちらがキレて関係が決裂。某大学相撲部のホームページ『イカす!どすこい野郎cyber』同時に閉鎖、それらがあったページはブランク、または「決まり手講座準備中」の文字だけ、はたまた「教育改革同志会研究ページ」になるなど、こちら側から一切の痕跡を消すという自爆の振る舞いに出る。この一件で『イカす!どすこい野郎cyber』は約4年にわたる歩みを止めた
2004.12.30 その歩みを止めたかに見えた『イカす!どすこい野郎cyber』、改称して『IDWeb』(Ikasu Dosukoiyarou Web)として復活(一応、この時にはすでに『相撲ニセ新聞 イカす!どすこい野郎Web』ということでサブタイトルに「相撲新聞」の萌芽を感じ取ることが可能)
2005.4? 『IDWeb』、今川開発(元・マロ)から「IDWebて、分かり辛いな、ほかのタイトルなかったんか?」と指摘され、いっそすがすがしく『相撲新聞』に改称。以後、このページ名で一貫することに

また同時期、色々あって『相撲新聞』へのアクセスが何か大変なことに

2005.9.22 今川開発、編集の陣が記事を掲載するのがあまりにも遅い!ということで今川開発の暇潰部屋を開設
2006.4? 某大学相撲部のホームページと勘違いしてアクセスしてくる方々があまりに多いので、表紙に告知を出す。なお、勘違いが多かったのは、名古屋大学相撲部が長きにわたって元々の某大学相撲部のホームページのURLを載せ続けたから
2006.6.9 今川開発の暇潰部屋、移転現在地
2010.10.31 『相撲新聞』を掲載していたところの楽天・infoseekの無料ホームページサービスが終了忍者ホームページに移行
2011.2.3 『相撲新聞』事実上の再始動、現在に至る

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