エンターテインメント:更新2004/12/30 元幕内木反井、堂々の俳優宣言から11ヶ
月
クリスマスも過ぎ、今年も残すところあとわずか。在京各局では正月特番の収録もすすんでいるが、この時期多忙を極める人気タレントと
は
対照的にロクに仕事がないタレントが多数いるのも事実。今春、角界を引退し俳優への転向を表明した不人気力士の元幕内木反井もそんなうちの一人である。
昨年はじめ、マスコミ各社を呼んでの記者会見で堂々と俳優への転向を宣言したが、その後映画やTV等への出演はもとより、雑誌のイン
タビューや、講演、グラビアなど一切のオファーがなく、年末の書き入れ時にもかかわらずとにかく暇をもてあましているというのだ。
木反井(本名瀬川瑛予)は喜乃嵐部屋に入門し、昭和62年に初土俵。以来およそ順調とはいえないが出世を繰り返し、幸運にも入門から12年後に十両昇
進。さらに翌年運よく幕内へと昇進を果たした。最高位は前頭11枚目。顔は3枚目。顔面偏差値は40に満たない。得意は右四つ、左四つ、もろ差し、下手唸
り、鬼殺し、ガブリ寄り、逆とったり。幕内は通算1場所在位で、成績は0勝13敗2休。思い出の一番として横綱学文路峰との不戦敗に終わった一番をあげ
た。
中学校時代は野球部で汗を流したが、ボールを握ったことは一度もない。中学卒業後、鳶職人として働き始めたが巨漢ゆえ仕事にならず、すぐに引きこもり生
活に入る。その後、老母の勧めで相撲の道へ進んだ。
しかし、野球少年だった木反井の夢は大リーグ挑戦。あきらめきれない木反井は相撲をやめて大リーグに挑戦するため老母とともに渡米し、ジ・ャンキース傘
下の1Aレツドフアルコンズの合同トライアウトに参加。気分だけ楽しんで帰国した。本人は「大リーグに"挑戦"するのが夢でした。今はとても満足してい
る」とコメント。
その後、家業の金物屋を手伝うわけでもなく、とかく引きこもりがちな生活を送っていたが老母の勧めもあって俳優への転向を決意。これが先の俳優宣言であ
る。しかしながら現実は厳しかった。俳優といっても演技の経験もなく、漢字も読めない。しかも学芸会の劇では動かなくて済む岩の役ばかりだったとめ、仕事
の依頼はゼロ。このままでは俳優生命の存続にかかわるから本人も気が気でないはずなのだが、当の本人はまったく気にもしていないというから驚きだ。
それもそのはずで、彼は何を隠そう実はマザコン男なのである。幼少より今に至るまでずっと老母が面倒を見てきたのだ。そのため、何も無理をして俳優にな
る必要もないのである。肝心の本人は「以前同じように女優宣言したけどさっぱり出てこない人いるでしょ?えーっと、"めっちゃ悔しい〜、ブヒブヒ"って
言った"ブタ"…。じゃなくて銀メダリストのタジマ…。まあいいや。…あの人も売れてないでしょ、さっぱり。…だからキニシナイ!」と実にあっけらかんと
している。
ちなみにこのタジマ何某もめっきり登場しなくなった模様で、いったいどこが女優なのか問い詰めたいほどである。
今回の騒動について識者の意見を聞いてみた。
青木勘治郎(啓南大学文教学部教授=十両学)
「瀬川君はアホだよ。うん。ボクちんも熱烈歓迎するよ」
齊藤棘夫(さいとう風呂店経営)
「風呂釜の汚れが見えないから問題になるんです。もうあと少しなんですよ」
勘瀬古利彦(スポーツ探検家・元ランナー・元夫・元会社員・元囚人・元大学院生・元女)
「ニフォンのミナサン、コニシュワ〜」
ビター一郎(鐚リスト・んぽ法人モミノキ楽園理事)
「佐賀県佐賀市17歳。ウヒヒヒヒヒ・・・」
チャーリー小林(○×県立東高校教諭)
「教科書忘れた者は手を挙げなさい。Z武君!手を挙げなさい!!」
角界ではパッとしなかった木反井が芸能界で一花咲かせるかと期待していたのは唯一彼の老母だけで、周囲の関係者はもちろん多くの国民
にとってはどうでもいい瑣末なことだったのは言うまでもない。それだけに今後の彼の動向などなおさらどうでもいい。
今川開発
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※写真はイメージです
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