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教育・文化:更新2010/01/22 特集 去る1月16・17日に全国約700ヶ所の会場でセンター試験が行われ、国公立大学と一部私立大などの志願者がいわば「最初の関門」に挑んだ。その中にただ一人、ちょんまげの受験生がいたことを知る人はほとんどいないだろう。 彼の名は「火炎瓶」。彼は力士で、この名はもちろん四股名である。今から25年前、中学卒業と同時に角界の門を叩いた。現在40歳。独身。最高位は序二段120枚目。通算成績18勝1011敗21休。この世界でなかなか出世できず「自分は力士に向いていないのではないか」と思ったのが5年前。35歳の秋であった。 元幕内・時津洋らと同期。角界の入門は両親の反対を押し切って自ら決めた。当時15歳。スカウトされたわけではなく、相撲経験があったわけでもない。しかし、「実力の世界に興味があった」。体が特に大きい訳でもない。身長173p体重100s。スポーツ経験は皆無。ただ太っていただけだ。前相撲では13連敗。それでも三番出世を遂げた。「あの横綱・大鵬も三番出世。ということはオレも大横綱になる運命だ」と信じていた。初めて番付に名前が載った場所は、序ノ口東55枚目で0勝7敗。いきなり壁にぶち当たった感があったが「これは天才に与えられた試練」と意に介さなかった。天才なので稽古は特にせず、しかし昼寝は力士の体作りに必要だとして、入門以来25年にわたって欠かしたことはない。 初めて勝てたのは入門より3年目の秋場所。しかも不戦勝。「無手勝流だね」とは当時の仲間に語った言葉。このあと5年にわたって白星からは見放されるが「相手がいちゃあ、勝てる相撲も勝てねぇ」が当時の口癖だった。ちなみに、2勝目も不戦勝。実際、彼はこの25年で18勝しているが、そのうち不戦勝は17。残りの一つは相手の勇み足による勝ち星である。「もうみんなオレと当たるときは休場してくれないかな、そうすればオレ、戦わずして全勝優勝(笑)」本気でこう思っていた。ちなみに、3秒以上土俵に立っていたことがない。「オレ、速攻の技能派だから(笑)」。 初めての序二段は入門より10年目の25歳の夏。その前の場所、奇跡的に不戦勝が2つあった。2勝5敗ながら下から押し上げられる形で序二段西120枚目にその名を連ねた。これが現時点における彼の最高位である。「やっぱ、大器晩成なんだよね〜(笑)」が当時の口癖である。しかし、このときも奮闘むなしく0勝7敗。序ノ口に舞い戻った。以来、序二段に再び昇進できていない。この頃からである、彼が自分の相撲の才能を疑い始めたのは。「みんな、なかなかヤルな・・・。オレもそろそろ本気を出さなきゃ・・・」。 「なぜだッ・・・」彼は激怒した。「アヤ子(仮名)はオレのことが好きで、オレもまあ、そんなに好きならしようがないかという間柄。直接話をしたことは全くないし、近寄ったらなぜか走って逃げて行く(笑)。ツンデレってヤツですか(笑)。まあゆくゆくは結ばれるのだろうなと思ってた」。しかし彼女は彼に何の相談もなく結婚してしまう。「彼女の裏切りが許せなかった」。彼は火炎瓶を大量に持って、彼女の結婚式場に乱入。大暴れしたが逮捕。「夫を殺せなかったのが心残りだ。アヤ子はヤツに騙されている!」幸いにして死傷者は出ず、後日、式場から被害届が出されてこの件は発覚。親方がこの件を表に出ないように尽力してくれたおかげで、数場所の謹慎で済んだ。「親方もオレの素質を惜しんで動いてくれた。感謝してるよ。まあ巡業サボった朝鯖龍よりは100倍マシかな」謹慎明けの場所から彼は心機一転して相撲に取り組もうと決意。四股名も、それまで本名で取っていたのを、謹慎の直接の原因になった事件から「火炎瓶」と改名。彼はその当時「本当に充実していた」。ちょうどその頃、やっと四股も踏めるようにもなっていた彼が、この直後から大記録を達成することになろうとは誰が想像しただろうか。 「100連敗したんです。まあオレほど才能のある力士は相手にハンデをつけてあげる義務があるので〜(笑)。でもオレはここから逆に連勝記録を作り、70連勝する予定でした(笑)」 しかし、彼の同期生が続々と引退(当時は廃業)、幕に上がった力士でさえ引退していく中、彼は相撲にこだわり続けた。「相撲が俺のジャスティス(笑)」かろうじて連絡を取り続けていた親戚から、「両親に籍を抜かれた上、死んだことにされている」と聞いたのは7年前。しかしこれも「天が与えたもうた試練」と意に介さなかった。しかし、取っても取っても勝利できない。「いやだって年下の力士がかわいそうになるんだよ。だからオレが代わりに星を与えてやるかーって。まあ片八百長ってヤツ(笑)」そんな中、師匠が亡くなる。これが6年前のこと。師匠は例の結婚式場火炎瓶襲撃事件をもみ消してくれた恩人である。代わって、師匠となったのは5年後輩の元関脇・大板井。彼は火炎瓶を呼び出して引退勧告をした。「ふざけるなって思ったよ。誰がお前をかわいがってきたと思ってんのか。チロルチョコとか買ってやったよなって殴りかかりました。まあそのお陰で前歯がなくなりましたが(笑)。ええ、オレの前歯が」結局、新親方は彼に一目置き、好きなようにやらせた。火炎瓶、34歳。体格も入門当時と比べてだいぶ大きくなり、170p178sとなっていた。「今年こそ本気出す」しかし、その年も結局1勝も挙げることはなかった。 「オレはひょっとして・・・相撲に向いていなかったのか?」この疑問に向き合えるようになったのは前述のように5年前の35歳になってのこと。親方には例の引退勧告の時以来無視されるので学生出身の後輩に相談したところ、「先輩は確かに(力士に)向いていないかもしれません。今は学歴社会です。大学に行ってはいかがでしょう」との返事だった。そうか、大学か。考えたこともなかったが、腐りかけていた彼に希望の光が見えた気がした。彼はコツコツ貯めていたお金で参考書を買い込み、高卒認定試験を受けることにした。親方には相変わらず無視されるので、この後輩に勉強を習った。結果、39歳にして高卒の資格が取れたのである。 「よし、オレはこれから力士と学生の二足のわらじをはく。そのためには大学に行く。本場所があるからできれば東京の大学で、あと学費は安いほうが良いから国立で、となると東大を目指すほかないよな(笑)」彼は東大受験を決意した。最難関の東大を選んだ理由は、恐らくそれしか知らなかったからであるが、いずれにしても彼は力士業の傍ら、受験勉強にいそしんできた。そして、先週末のセンター試験を無事に終えたのである。 「自己採点の結果は、国語 48点、英語 46点、数IA 2点、数IIB 4点、生物 22点、相撲史B 6点、現代社会22点。いや、ちょっと失敗しました(笑)まあ、2次で逆転します」 彼は将来の夢をこう語る。 「できれば、東大法学部から法科大学院に行って司法試験に合格し、力士の傍ら弁護士をする弁護士力士を目指したい。横綱弁護士『火炎瓶』とか(笑)。あ、あと医者もいいかも」 火炎瓶はセンター試験の日も取組が組まれていたが休場届を出すのを忘れていて初の不戦敗を喫した。協会の人にひどく怒られたという。そして今日13日目において7敗目(0勝)を喫した。「まあ、こんなもんでしょ。でも大学に受かればいつでもこの業界とはおさらばできるし、当分は二足のわらじをしっかりとはいていくつもりです(笑)」当面、引退はしないつもりだ。 彼の今後の人生に注目である。
陣 |
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